備中岡田藩(岡山県倉敷市真備町岡田)伊東家に仕える重臣、中嶋家の事跡をまとめた史料。
元禄14年(1701)~慶応2年(1866)まで、伊東家家臣としての中嶋家の経歴を記している。
伊東家の勘定奉行、大目付役、郡奉行請持、町奉行など重職を歴任している。
元禄14年の箇所にみえる「長救公様」は、5代藩主・伊東長救。
伊東家から「中嶋家の事跡を書き上げよ」と通達があったため、辰年(明治元年 1868年)10月に中嶋五兵衛がこの史料を作成した。
※史料本文は全て商品画像に掲載した。
(2026年 9月 25日 20時 18分 追加)画像8枚目に、松山御藩(備中松山藩。現・岡山県高梁市)の山口志津馬から養子を迎えた、という記述がある。
山口志津馬は、備中松山藩において、大坪流馬術の師範だった。
【参考文献】
釣洋一『新選組再掘記』新人物往来社、1972年