柿本人麿の和歌・仙台藩10代藩主・伊達斉宗の夫人・伊達留世・自筆「百人一首」和歌番号-3-茶道

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Description


仙台藩10代藩主・伊達斉宗の夫人(側室)・伊達留世(とめよ)・自筆「百人一首」の和歌

元々は、茶会の「茶掛」として掛軸に表装されておりました。

海外展示の際に「額縁」に装丁されたものです。

伊達留世(とめよ)の和歌は「ちらし書」と呼ばれる書法です。文字を散らして布置するわが国独自の書き方です。この書法の歴史は平安時代の康保3年(967)の「紙背仮名消息」(滋賀・石山寺)、同じく平安時代の公卿・藤原公任(きんとう)自筆『北山抄』「仮名消息」(京都国立博物館)が知られております。各行に高低の変化をつけ、流暢(りゅうちょう)に続く連綿はきわめて美しいもので「百人一首」の書法として平安時代の公卿卿などの間で広まり、その後大名家の姫君の間で用いられておりました。

自筆下部の印は、伊達斉宗の夫人・留世(とめよ)の(印譜)


《篆書体の高度な線刻技術》
原本自筆には、中国唐代の漢詩人・李賀(790~816頃)による「正月上樓迎春歸」という題の作品が篆書体の微細な線刻によるもので米粒に筆で文字を描く技法と共通しております。印材に髪の毛ほどの極細な彫刻刀で描く極めて高度な技術です。

《篆書の漢文・現代語訳文》
篆書の漢文は「上樓迎春新春歸」
読み下し文は「樓(らう)に上(のぼ)りて春を迎ふれば 新春は歸(かへ)る。
現代語訳文は、「高殿にのぼって春を迎えると、新しい春は帰ってきた。」です。

伊達留世(とめよ)は、仙台藩10代藩主・伊達斉宗の夫人(側室)となる。留世(とめよ)は、和歌や漢詩の素養もある教養のある女性として知られておりますが、「百人一首」を記す際、漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。

出品した「百人一首」自筆の内容(原文の読み下し文)は次の通りです。


「柿本人麿(かきのもとひとまろ)」


「あしひき(足引)の山鳥(やまとり)の尾(を)のしたりを(尾)の 

            なかなかし夜(よ)をひとりかもね(寝)む )」


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」(教科書仕様)としております。


(2)・出品した「百人一首」自筆の内容(原文の現代語訳文)は次の通りです。

「柿本人麿(かきのもとひとまろ)」

「山鳥の尾の、その垂れ下がった尾が長々しいように、

            秋の長々しい夜をひとりで寝ることになるのだろうか」

現代語訳の出典:「小倉百人一首」鈴木日出男(東京大学名誉教授)

(3)・出品した「百人一首」自筆の内容(英訳文)は次の通りです。
《柿本人麿》

On a rugged mountain peak
a copper pheasant falls asleep
drooping its lengthy tail—
must I too sleep alone
through this long long night?


英語訳文(英文)の出典:『100 Poets: Passions of the Imperial Court』
Michael Dylan Welch(百人の詩人・宮廷の情熱)《2008年》



(4)・出品した「百人一首」自筆の内容(中国語訳文)は次の通りです。
《柿本人麿》

悠悠秋夜,似雉尾。
孤零只一人,如何睡。



備考・歌聖「柿本人麿(かきのもとひとまろ)」は、「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」とも書く。 持統・文武朝の宮廷で活躍した歌人。古来、至高・別格の歌人。古来、和歌の神として尊崇されてきた。大伴家持は倭歌の学びの道を「山柿之門」と称し(万葉集巻十七)、紀貫之は人麿を「うたのひじり」と呼び(古今集仮名序)、藤原俊成は時代を超越した歌聖として仰いだ。その名は上代の史書に見えず、閲歴については万葉集が唯一の確実な資料とされている。制作年の明らかな最初の歌は持統三年(689)の草壁皇子挽歌である。持統四年(690)二月の吉野行幸に従駕し、歌をなす(1-36~39)。持統六年三月の伊勢行幸に際しては京に留まり、行幸に従駕した「妹(いも)」を恋慕する歌を詠んでいる(1-40~42)。同年冬には、軽皇子の安騎野遊猟に供奉し、作歌(1-45~49)。持統十年(696)七月、高市皇子の挽歌を作る。万葉集最大の雄編である。持統天皇譲位後の文武四年(700)四月、明日香皇女(天智天皇の皇女。新田部皇女と同母)薨去の際、挽歌をなす(2-196~198)。この歌が制作年の明らかな人麻呂最後の歌である。ただし翌大宝元年(701)九月、文武天皇の紀伊国行幸の際、有間皇子の結び松を見ての作歌に人麻呂歌集中歌がある(2-146)。大宝二年(702)冬には持統上皇の東国行幸がなされ、長意吉麻呂・高市黒人ら歌人が従駕して歌を残している。没後、人麻呂は歌聖として仰がれ、また神として祀られた。石見国高津の人麻呂神社創建は神亀元年(724)と伝えられている。

「額縁入原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」



写真によって大名の夫人らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
仙台藩10代藩主・伊達斉宗の夫人・伊達留世(とめよ)の書体は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。小さな印は、伊達斉宗の夫人留世(とめよ)の落款。
原本自筆には、「正月上樓迎春歸」の漢詩文が押捺されている。唐の時代の有名な漢詩です。(内容は上記に記載)



参考資料:「柿本人麿」


出典・財団法人小倉百人一首文化財団・所蔵


「額縁裏面ラベル・仙台城復元写真」


上段は額縁裏面ラベル。下段の写真は仙台城の復元写真)。


「断層画像写真」


《断層画像写真番号(和歌番号と同じ)》
拡大画像によって大名の夫人らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
伊達斉宗の夫人で伊達留世(とめよ)は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は、茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。

仙台第10代藩主夫人・伊達斉宗の夫人で伊達留世(とめよ)・自筆(直筆)「百人一首」を出品
自筆者に関する説明自筆「百人一首」自筆には、「留世」の落款がある。 仙台藩11代藩主・伊達斉宗の夫人の伊留世(とめよ)は、芝姫(あつひめ)と称された。
自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。日本の和紙の場合、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がることが断層画像写真によって鮮明となります。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。自筆原本は茶会用の掛軸から外され海外展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

寸法「百人一首」原本の大きさ タテ24.2センチ ヨコ17.1センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。

解読文出品した書には、「原文の読み下し文・現代語訳文」(解読文)を掲示し、平易に解読し読むことができるようにしております。

稀少価値 所蔵経緯(来歴)
1・自筆「百人一首」には、仙台藩11代藩主・伊達斉宗の夫人・伊達留世(とめよ)の押捺がある。

HP伊達留世(とめよ)・自筆「百人一首」の和歌の書を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


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