三十六歌仙・大伴家持の和歌・仙台藩13代藩主・伊達慶邦(よしくに)の夫人・伊達千佐(ちさ)自筆「百人一首」和歌番号-6

Thumbnail 1
Thumbnail 2
Thumbnail 3
Thumbnail 4
Thumbnail 5
Thumbnail 6
Thumbnail 7

Left time:

Seller rating
733
Seller items
源氏物語の世界
All seller's items
Start time
11 Oct 12:03 (Tokyo)
Ends in
15 Oct 11:02 (Tokyo)
Number of bids
0
Available
1
VAT
0%
Item condition
No noticeable scratches or stains
Shipping within Japan
No free shipping
Auction ID
Automatic extension
Yes
Sales area

Log in

to place bets

How much will it cost?

Description


仙台藩13代藩主・伊達慶邦(よしくに)夫人・伊達千佐(ちさ)・自筆「百人一首」の和歌

元々は、茶会の「茶掛」として掛軸に表装されておりました。

原本に使用されている高級和紙に「すかし模様」が入る極めて超高級な仕様です。
その後、色紙額に表装された後、海外展示の際に「額縁」に装丁されております。

伊達千佐(ちさ)の和歌は「ちらし書」と呼ばれる書法です。文字を散らして布置するわが国独自の書き方です。この書法の歴史は平安時代の康保3年(967)の「紙背仮名消息」(滋賀・石山寺)、同じく平安時代の公卿・藤原公任(きんとう)自筆『北山抄』「仮名消息」(京都国立博物館)が知られております。各行に高低の変化をつけ、流暢(りゅうちょう)に続く連綿はきわめて美しいもので「百人一首」の書法として平安時代の公卿などの間で広まり、その後大名家の姫君の間で用いられておりました。

自筆中の角印は、伊達慶邦の夫人・千佐(ちさ)の(印譜)
「操」の押印の解釈について
各和歌の末尾等に朱印で「操」という1文字の押印があります。「操」は重要な「百人一首」の中の概念として用いられることがあります。節操、特に男女間の変わらぬ愛や誠実さを示す場合があります。特に崇徳天皇の「瀬をはやみ 岩にせかるゝ 滝川のわれても末に あはむとぞ思ふ」の和歌は「恋人への操を守る心」のを表す歌として説明されことがあります。このことから、和歌を書いた伊達千佐は、仙台藩主・伊達慶邦(よしくに)への恋の思いを示すために「操」という押印を入れたとの解釈が江戸時代からなされております。


《有名な唐詩選の漢詩と篆書体の高度な線刻技術》
原本自筆には、中国唐代の漢詩人・張枯(ちょうこ、792頃853頃)漢詩。唐代中期を代表する詩人の一人です。字は承吉(しょうきつ)。清新で情景描写に優れた詩風で知られる。名前の「枯」の字は正しくは「示」偏に「古」の旁(つくり)。漢詩は『唐詩選』楽府題の有名な漢詩の一つ。長江(揚子江)を旅する人の旅愁を詠っている。文字は篆書体の微細な線刻によるもので米粒に筆で文字を描く技法と共通しております。印材に髪の毛ほどの極細な彫刻刀で描く極めて高度な技術です。
《篆書の漢文・読み下し文・現代語訳文》
篆書の漢文は「亭亭孤月照行舟 寂寂長江万里流 卿国不知何処是 雲山漫漫使人愁」
読み下し文は「亭亭(ていてい)たる孤月(こげつ)行舟(こうしゅう)を照らし 寂寂(せきせき)たる長江(ちょうこう)万里(ばんり)に流(なが)る 卿国(きょうこく)は知(し)らず何処(いずこ)か是(これ)なる 雲山(うんざん)漫漫(まんまん)人(ひと)をして愁(うれ)えしむ」
現代語訳文は、「空高く、ただ一つ浮かぶ月は漕ぎ行く舟を照らしている。ほかには舟の姿もなく、静まりかえった長江は、万里にわたって流れ続ける。わがふるさとは、いったいどのあたりなのだろうか。見えるものはただ、はてしもない雲と山ばかり、それが私の心を憂愁におとしいれる。」
伊達千佐(ちさ)は、仙台藩13代藩主・伊達慶邦の夫人である。千佐(ちさ)は、和歌や漢詩の素養もある教養のある女性として知られておりますが、「百人一首」を記す際、漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。使用されている和紙には「複数」の和紙を重ねると同時に「すかし」模様が入っており当時の高度な技法を用いた大名家に特徴的な豪華なものであることが「断層写真」を見るとよくわかる。

出品した「百人一首」自筆の内容(原文の読み下し文)は次の通りです。


「大伴家持(中納言家持)」


「かささき(鵲)乃(の)渡(わた)せる橋(はし)にお(置)くしも(霜)の 

            白(しろ)きを見(み)れは夜(よ)そふけけにける」


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」(教科書仕様)としております。


(2)・出品した「百人一首」自筆の内容(原文の現代語訳文)は次の通りです。

「大伴家持(中納言家持)」

「鵲(かさゝぎ)が翼をつらねて渡したという橋、

            宮中の御階(みはし)に降りている霜が白いのを見ると、もう夜もふけてしまったのだった。」

現代語訳の出典:「小倉百人一首」鈴木日出男(東京大学名誉教授)

(3)・出品した「百人一首」自筆の内容(英訳文)は次の通りです。
《大伴家持》

A heavenly bridge
of milky-feathered magpies—
the whiteness of frost
on the Imperial staircase
reminds me of night’s deepening


英語訳文(英文)の出典:『100 Poets: Passions of the Imperial Court』
Michael Dylan Welch(百人の詩人・宮廷の情熱)《2008年》



(4)・出品した「百人一首」自筆の内容(中国語訳文)は次の通りです。
《大伴家持》

渺渺天河,皎皎翅。
夜一片白,已是霜。



備考・三十六歌仙の一人、「中納言家持(ちゅうなごんやかもち)」は、「大伴家持(おおとものやかもち)」のこと。神亀四年(727)冬頃、大宰帥に任ぜられた父に随い、筑紫に下向する。当時大宰府には山上憶良・沙弥満誓ら文人が集い、筑紫歌壇を形成した。少年期から坂上郎女をはじめ多くの女性と歌を贈答した。天平十二年(740)以前に内舎人(うちどねり)に任ぜられ、同年十月末、藤原広嗣の乱を発端とした聖武天皇の関東行幸に従駕。同年末の恭仁京遷都に伴い、単身新京に移住した。平城還都後の天平十七年(745)正月、従五位下に叙される。翌十八年六月、宮内少輔より越中国守に遷され、同国に赴任した。越中では下僚の大伴池主とさかんに歌を贈答し、また異郷の風土に接した新鮮な感動を伝える歌を詠んだ。天平二十年四月、元正上皇が崩御すると作歌はしばらく途絶えるが、翌二十一年四月、聖武天皇の東大寺行幸における詔を機に再び創作は活発化し、「陸奥国より黄金出せる詔書を賀す歌」など多くの力作を矢継ぎ早に作った。天平勝宝三年(751)七月、少納言に遷任され、まもなく帰京。天平勝宝九年(757)六月、兵部大輔に昇進。天平宝字二年(758)六月、右中弁より因幡守に遷任される。同年八月、恵美押勝(藤原仲麻呂)の後援のもと、淳仁天皇が即位。翌宝字三年正月、因幡国庁における宴で歌を詠む。神護景雲四年(770)六月、民部少輔に遷任されて帰京。同年八月、称徳天皇が崩じ、道鏡は失脚。同年十月、光仁天皇即位と共に正五位下に昇叙されたのは、実に二十一年ぶりの叙位であった。以後は聖武朝以来の旧臣として重んぜられ、中務大輔・左中弁・左京大夫・衛門督などの要職を歴任、官位も急速に進み、宝亀九年には正四位下に昇った。宝亀十年(779)二月、参議に任ぜられ、議政官に名を連ねた。天応元年(781)四月、桓武天皇が践祚し、その同母弟早良親王が立太子すると、春宮大夫を兼ねた。同年十一月、従三位。天応二年六月、陸奥按察使鎮守将軍を兼任し、蝦夷の反乱で揺れていた陸奥に赴任する。延暦二年(783)七月、陸奥にあって中納言に任ぜられる。翌年二月、持節征東将軍を兼ねる。

「額縁入原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」



写真によって大名の夫人らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
仙台藩13代藩主・伊達慶邦の夫人・伊達千佐(ちさ)の書体は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。小さな角印は、伊達慶邦の夫人千佐(ちさ)の落款。
原本自筆には、「亭亭孤月照行舟 寂寂長江万里流 卿国不知何処是 雲山漫漫使人愁」の漢詩文が押捺されている。唐の時代の有名な漢詩です。(内容は上記に記載)



参考資料:「大伴家持」


出典・財団法人小倉百人一首文化財団・所蔵




「百人一首」原本の和歌番号36(清原深養父)に記されている仙台藩の藩印

写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
藩印の右上が「操」の印。左上4行が唐詩選の漢文(篆書体)
漢詩は「亭亭孤月照行舟 寂寂長江万里流 卿国不知何処是 雲山漫漫使人愁」。
唐の時代の有名な漢詩です。
唐詩選の篆書体の下の小さな印は仙台藩主第13代藩主・伊達慶邦の夫人・千佐(ちさ)の印。
「操」の押印の意味は和歌番号77番「崇徳院」の和歌に由来(詳細は上記に記載)

写真上右は仙台藩主(伊達家)正室・夫人一覧表の表紙。表紙の下は正室・夫人一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


「額縁裏面ラベル・仙台城復元写真」


上段は額縁裏面ラベル。下段の写真は仙台城の復元写真)。


「断層画像写真」


《断層画像写真番号(和歌番号と同じ)》
拡大画像によって大名の夫人らしい品格のある書の勢いと速さを確認することができる。
伊達慶邦の夫人で伊達千佐(ちさ)は、漢文と違った和歌の素養を発揮しなめらかで、やわらかな書体は、茶室の雰囲気を重厚なものにさせた。

仙台第13代藩主夫人・伊達慶邦の夫人で伊達千佐(ちさ)・自筆(直筆)「百人一首」を出品
自筆者に関する説明自筆「百人一首」自筆には、「千佐」の落款がある。
自筆 自筆切の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。日本の和紙の場合、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がることが断層画像写真によって鮮明となります。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。自筆原本は茶会用の掛軸から外され海外展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

寸法「百人一首」原本の大きさ 和歌ごとに扇型のように形式が異なりますので写真でご確認ください。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。

解読文出品した書には、「漢文・原文の読み下し文・現代語訳文」(解読文)を掲示し、平易に解読し読むことができるようにしております。

稀少価値 所蔵経緯(来歴)
1・自筆「百人一首」には、仙台藩13代藩主・伊達慶邦の夫人・伊達千佐(ちさ)の押捺がある。

HP伊達千佐(ちさ)・自筆「百人一首」の和歌の書を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


Loading...