大珍品!在銘「水府住徳勝作□□□年七月日(瓢形刻印)」水戸刀最高刀匠!勝村徳勝・天狗党を討伐・諸政党 幕府からの褒美刀!超希少!

Thumbnail 1
Thumbnail 2
Thumbnail 3

Left time:

Current Price

96 000¥

(~$730)
Seller rating
310
Seller items
刀剣//夢//
All seller's items
Start time
01 Oct 05:22 (Tokyo)
Ends in
08 Oct 11:12 (Tokyo)
Number of bids
108
Available
1
Leading bidder
3Ybtvj7qRZrxs4ixUppsvvoCviuZe
VAT
0%
Item condition
Minor scratches or stains
Shipping within Japan
No free shipping
Auction ID
Automatic extension
Yes
Sales area

Log in

to place bets

How much will it cost?

Description


出品物




ご覧頂きありがとうございます。今回出品する品は写真の脇差です。

銃砲刀剣類登録証番号  茨城県 第50450号

種別  わきざし
長さ  32.8センチ
反り   0.5センチ
目くぎ穴   1個

元幅約3.0センチ  元重約0.7センチ
先幅約2.0センチ


在銘 水府住徳勝作
   □□□年七月日(瓢形刻印)


大変珍しい水戸刀で有名な勝村徳勝作の作品です。

水戸の某名家に所蔵されていた名刀です。登録も取り立ての初公開の御品です。水戸刀の最上刀匠と
言われる勝村徳勝の作品であり郷土である茨城県水戸の旧家にしまってあった名品です。
このような、歴史的発見は近年には出てこないので、是非この機会によろしくお願いいたします。
勝村徳勝の作品自体が少ないですが、この瓢箪刻印付きは、現在に確認できるだけでも数振り程度で、
当時に瓢箪刻印付きの制作された数も40振り程度だそうで、現存しているだけでも奇跡に近い、
貴重な御刀です。
この瓢箪型刻印の中には「寿」の文字があり、これは天狗党を討伐した「諸政党」の功績をあげた武士
に幕府が勝村徳勝に作らせ褒美としてあげた御刀になります。その茎には瓢箪刻印が記されています。
褒美用の刀は、本刀のように寸伸び短刀であり、平造りの脇差で茎に刻印があります。
歴史的価値がある短刀です。
詳しいことは、刀剣美術の548号平成14年9月にこの勝村徳勝の脇差の論文が記載されています
ので、ご覧になるといいと思います。

拵え付きの脇差で拵えは鉄地丸鍔に銅地の縁頭であり黒塗り鞘です。刀身は、勝村徳勝の特徴とも
言える柾目肌に直刃紋で、徳勝の良さが十分に発揮されている刀身です。初だしの為、多少の擦れ
はありますが、綺麗な柾目が出ています。もちろん研ぎ直せばさらに良くなると思います。
初茎のままで、状態よく発見されましたので、是非、水戸刀コレクター様に大事にしていただきたい
一振りです。
幕府からの褒美刀は、なかなか出てきませんので是非よろしくお願いします。


幕末の水戸藩・常備刀の条件

幕末の動乱は、永い徳川泰平の世の眠りから日本刀を目覚めさせた。
武士の装飾刀と化していた日本刀が、本来の日本刀の原点である戦う武器であることを再認識さ
せた。
有名な松代藩の荒試しが伝わるように、各藩ともに常備する日本刀の性能条件を定めて厳しい試
験を実施していた。
その一つに、尊皇の気風が高い水戸藩があった。
水戸藩が設定した日本刀の合格条件は以下の通りとなっている。

一、棒試し(正眼に構えている刀の両側面を直径5cm位の樫の棒で思い切り叩く。棟も同様に叩く
  刀は棟打ちに弱いので、造り込みや熱処理が下手だとここで折れてしまう。
  次に刃を斜めから叩き刃コボレやシナエ等が無いかを調べる)


二、巻き藁試し(青竹の巻藁を数回斬り、刄味の良否を調べる)


三、鹿角試し(数度実施。又、甲冑に使用される鉄板切り)。刀は刃肉を落せば薄くなり巻藁など
  は良く切れるが、堅い物を斬ると刃が欠ける。従って、二と三を満足させようとすると相反
  する条件を両立させる至難の業となる。


四、水試し(大樽に満杯に水を張り,その水面を刀の平で何十回も叩く。出来の悪い刀は数回で曲
  がるか折れ飛んでしまう)

これらの厳しい荒試しを通過した刀だけが、水戸藩の常備刀として採用された。

今迄、泰平の世の日本刀に慣れていた刀匠達にとって、かなり戸惑いがあったのではなかろうか。
然し、時代の要請により、各刀匠は実戦刀への挑戦を果敢に行った。
水戸藩の中で、実戦刀としての評価がひときわ高い勝村徳勝(かつむらのりかつ)とその一門がいる。
勝村徳勝は名を勝村彦六、水戸藩士の子として文化六年(1809)に水戸で生まれ、はじめ関口徳宗に
学び「徳一」と銘を切った。
後に水戸藩工に推挙された安政四年(1857)に江戸小石川水戸藩邸(現在の後楽園)に居を構え、石堂運
寿是一や細川正義の指導を受けた。
水戸家九代藩主、徳川齋昭(なりあきら)(水戸烈公)の鍛刀の相手を務めたことでも知られている。
彼の作刀は尊王攘夷の機運が高揚する水戸藩士の指料(さしりょう)として愛用され、井伊大老を桜
田門外で襲撃した刀としても名高い。


勝村徳勝は彦六と称し水戸藩士の子として、文化六年(一八〇九年)に生まれました市毛徳鄰門
人の徳宗の門で学び、水戸烈公こと徳川斉昭の命により江戸に出て細川正義、運寿是一から鍛冶
の秘伝を学んでいます。
後に徳勝は斉昭の向こう槌も務めたと伝えられています。幕末尊皇攘夷運動を背景に実戦本位の
刀を鍛えた徳勝の刀は大和伝法の柾目鍛を主とした造り込みで、裁断性能は水戸藩で随一と云わ
れ、江戸小石川の水戸家上屋敷の鍛刀場でも総統を務めました。
桜田門外の変で、井伊直弼を暗殺した水戸浪士達の指料も勝村徳勝の刀であったと云われていま
す。
同工の刀は鹿嶋郡砂鉄を使用して鍛刀されており、作風は運寿是一に影響を強く受けたものが多
く特有の強烈な個性を放つとされ、現代においても超人気の刀匠です。明治五年(1872)六十四
歳で没しています。
新々刀上々作の水戸刀最高刀匠。


諸生党(しょせいとう)は、水戸藩の保守・門閥派。幕末に家老市川弘美(三左衛門)らを中心に
藩内で改革派・天狗党と激しい抗争を繰り広げた。市川派あるいは諸生派とも呼ばれた。当時水
戸城三ノ丸にあった藩校、弘道館の諸生(書生)が多かったためこの名がある。


天狗党の乱討伐
元治元年(1864年)3月、改革派激派の藤田小四郎らが筑波山で挙兵すると(天狗党の乱)、危機
感を抱いた門閥派の市川三左衛門、佐藤信近(図書)、朝比奈泰尚(弥太郎)、鈴木重棟(石見守)
らが改革派の排撃を始めた。7月、幕府が天狗党追討令を出し、常陸、下野の諸藩に出兵を命じると
、市川らは弘道館諸生を中心とする部隊を組織して天狗党の討伐を開始した。ここで諸生の党、す
なわち諸生党が反天狗党の総称となり、水戸藩領内各地で士民が諸生党側と天狗党側に分かれての
抗争が始まった。

諸生党軍は下妻近くの多宝院で藤田ら天狗党軍の夜襲を受けるなどして敗走。水戸へ逃げ帰ると水
戸城を占拠し、天狗党に加わっている者の一族の屋敷に放火し、残っていた家人を投獄した。これ
を聞いた天狗党が水戸城に迫ってくると、諸生党は城下で迎撃、勝利した。この内乱鎮静のため、
京都にいる藩主慶篤の名代として宍戸藩主松平頼徳が幕命により水戸へ下向する。しかし、一行の
中に武田耕雲斎ら改革派の要人が加わっており、改革派の士民も多く同行していたため、改革派に
主導権を握られることを恐れた市川らは戦備を整えて一行の入城を拒絶。頼徳は入城させるよう市
川と交渉するが実らず、戦闘が終わる気配はなかった。やむなく頼徳は那珂湊に退き天狗党と合流
する。幕命を受けた頼徳を敵に回したことで叛逆の罪に問われることを防ぐため、諸生党は幕府に
働きかけ天狗党と共に頼徳一行も討伐対象とすることに成功し、水戸城下で戦闘を繰り返した。10
月、諸生党は田沼意尊を将とする幕府の討伐軍の応援を得て那珂湊を包囲し、ついに天狗党を敗走
させた。一橋慶喜の仲介を頼りに天狗党が京都へ去り、諸生党が藩政を掌握すると天狗党やその協
力者の弾圧を進めた。樋口一葉が師事した中島歌子も武田耕雲斎と国事に奔走した夫(林忠右衛門)
が下野国部田野原で戦死するや、これに連座し投獄されたが、数ヶ月後に釈放された。
12月、藤田ら天狗党一行が越前敦賀で討伐軍に降伏し、その多くが処刑され乱は鎮圧された。諸生
党は藤田小四郎や武田耕雲斎らの首を水戸に移して、罪人として晒し、乱に加担した者の家族を処
刑した。




あとは写真と画像を見て判断してください。質問はわかる範囲でお答えしますので、入札前にお願い
いたします。

発送はゆうパックの着払いです。

※注意事項※落札しましたら、登録のある教育委員会に所有者変更届(名義変更)を出してください。
よろしくお願いいたします。


Auction Templates オクのミカタ [ヤフオクの出品テンプレートを簡単作成].


Loading...