山口県出身 藤田左弌郎の資料を大量に入手しました いずれ別IDで全て出品します
大量の資料の中のサンフランシスコで撮られた日系人野球チームとスポーツクラブチームの写真2枚です
戦前のサンフランシスコでは、画家として後に知られる小浦千秋(小畑千浦)が1903年に共同設立した「富士アスレチッククラブ(Fuji Athletic Club / FAC)」 が最初期のチームとして知られています
野球チーム写真の前列右から2番目が藤田です ハイスクール時代と思われますので日系人野球チームとしては最初期でしょう
2枚目の写真は前列中央が藤田です 27cmx22.5cm 23cmx17.5cm
野球のユニフォームには胸にA.Cの表記 フラッグ A.A.C.O ASAHI athletic CLUB
Wikipedia
藤田 左弌郎(ふじた さいちろう、1886年 - 1976年)は、日本の造園家、バハイ教徒。山口県柳井市出身
カリフォルニア州オークランドのハイ・スクール在学中、1905年頃バハイ教徒となった。1912年には北アメリカを訪問中のアブドゥル・バハーと出会い、1919年にハイファに招かれ万国正義院の庭園設計造園を始めた。彼はその後、第二次世界大戦中に日本へ帰国した時期を除いて1976年に亡くなるまで、ハイファのバハイ教寺院の造園と庭園の整備維持を続けた。
イスラエルのハイファのバハイ世界センターにおいて、 アブドゥル・バハーやショーギ・エフェンディー、そして後に万国正義院のもとで長らく奉仕活動に携わった。
現在、ハイファの西洋式庭園は、彼が生涯をかけて仕上げた。
彼の墓標にはこう記されている:
”Thou wilt render a great service and this will become the cause of thy everlasting glory.” — Abdu'l-Bah
訳:「汝の大いなる奉仕が、汝の不朽の栄光の基とならん」ーアブドゥル・バハー