台湾漢詩壇の重鎮・魏清徳(1886~1964)が、日本の出版人であり漢詩人でもあった岩田僊太郎に宛てた、貴重な自筆年賀葉書です。
魏清徳(魏清德)は、台湾・新竹出身の漢詩人、文学者、新聞人。号は潤庵。日本統治時代の台湾を代表する文人の一人として知られ、『台湾日日新報』漢文部主任を務めたほか、台湾の有力漢詩結社「瀛社」の社長を歴任しました。
漢詩に秀で、日本の国分青崖、久保天随、上山蔗庵ら漢学者・詩人とも交流。書画や古典文学にも造詣が深く、1963年には国際桂冠詩人に選ばれています。
本葉書で特に注目されるのは、その宛先です。
受取人の岩田僊太郎(岩田仙太郎、号・鶯崖)は、明治期の大手出版社「金港堂」で会計主任・支配人などを務め、系列会社・帝国印刷の経営にも携わった出版人です。
その後、独立して「晩成処」を興し、美術教育関係の書籍を数多く出版。大正末期には私財を投じて財団法人図画教育奨励会を設立し、美術教育の発展にも尽力しました。
一方で岩田は、「鶯崖」と号する漢詩人としても活動。『鴻爪録』『雪泥集』『杖国集』『寿山集』などの漢詩集を刊行し、全国の漢詩人たちと広範な交流を持っていました。
出版史研究者・稲岡勝氏の論考によれば、かつて岩田僊太郎宛の書簡・詩稿約430種を収めた資料群『尺牘拾遺』が古書市場に現れたこともあり、岩田が近代文人たちの交流の中心にいたことがうかがえます。
本品は、台湾漢詩壇を代表する魏清徳から、こうした日本の漢詩人・岩田鶯崖に宛てられたものです。
宛名には「東京市下谷区桜木町三番地」と記されており、岩田が長く居住したとされる上野桜木町とも符合します。
文面には新年を寿ぐ漢文調の挨拶が墨書され、末尾には「甲申元日」の年紀が見られます。甲申は昭和19年(1944年)に相当し、戦時下の台湾と東京を結ぶ文人交流を伝える一通と考えられます。
台湾の著名漢詩人と、日本の出版文化・美術教育を支えた漢詩人。両者をつなぐ一枚の葉書には、近代東アジアの漢詩文化圏の広がりが感じられます。
台湾文学史、近代漢詩史、日本出版史、日台文化交流史のいずれの観点からも興味深い資料です。
なお、岩田僊太郎は著名な挿絵画家・岩田専太郎とは別人です。
【参考文献】
稲岡勝「金港堂の大番頭岩田僊太郎のこと」(皓星社)
台湾国立歴史博物館「魏清德」人物紹介
台湾国家文化記憶庫「魏清德」
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