自筆「南方録」墨引・広幡大納言長忠の娘で仙台第5代藩主・伊達吉村の正室・冬姫(貞子)自筆/不味公正室所・貴重書/茶道・茶道具1-B 

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自筆「南方録」のうち、「墨引」

公卿・内大臣久我通誠の娘で仙台第5代藩主・伊達吉村の正室・冬姫(貞子・さだこ)自筆「南方録」

出雲藩主・松平治郷(不昧公・ふまいこう)の正室、方子(仙台藩第6代藩主・伊達宗村の娘)旧蔵

元々は、茶会の「茶掛」として掛軸に表装されておりました。

江戸時代、床・掛物として重要な茶道具として重宝された。

不昧家伝来の貴重な自筆「南方録」を海外展示の際に「額縁」に装丁されたものです。

自筆下部の印は、出雲藩主・松平治郷と正室「方子(よりこ)」の落款

「南方録」について
「南方録」の中でもとりわけ貴重な「墨引」は、茶道の秘伝があまりにもはっきりと書かれすぎているとして、千利休が廃棄を命じた書として有名です。それが、巻名の由来で、「墨引」とは、「墨を引いて消してしまいなさい」という意味である。「墨引」の奥書には、次の通り記載されている。(原文)
(奥書・原文の読み下し文は下記の通りです。)
「秘ハ秘スルニ依テ尊く候、是非此巻ハ反古ニ可被成候、申モ疎ニ候ヘトモ、我等之方ニモカ樣之書神々無之候、寫留候テ、子共ニモ傳ヘ度樣ニ存候ヘトモ、イカニシテモ秘事拂底ニ及候、トニカクニ丙丁童子カモノニ可被成候、カシク、
十二月五日 宗易  集雲庵主 
此巻ニハ奥書モナク、墨引テ文ヲ添テ被申コトナレハ、速ニ燒却セント思ヘトモ、コノ坊物忘ノミ、多年相傅ノコトモホトナクワスレハテンコト口惜ク、他見スヘキモノナラネハ、師ノ命ヲ恐ナカラ、ツタノ中ニ打入置テ、獨見ノ一巻トス、眞ニ大秘ノ奥秘ナリ、
臘月望日 南坊啓」
(奥書・原文の現代語訳文は下記の通りです。)
「秘伝というのは、秘密にするから尊いのである。だから、この巻六は是非とも反古にしていただきたい。いうまでもないことだが、自分の方にもこのような書きものは神にかけて作っていない。かえってこれを写して子孫にも伝えておきたいと思いもするけれど、それでは何としても秘事というものがなくなってしまう。だから、とにかくこの巻は火中に投じて捨ててしまいなさい。かしく。
十二月五日 宗易 集雲庵主
この巻(墨引)には利休の奥書もなく、墨で消して、なぜ捨てるべきか記した文章を添えて焼却を命じられている。だが、すぐに焼却しようと思ったのだけれども、自分はもの忘れがひどく、長年教えられてきたことも、すぐに忘却してしまうのも残念であった。別に人にみせるものでもないので、師利休の命にそむくのは恐れ多いことだが、頭陀袋のなかに押し込んでおいて自分一人みるべき一巻とする。まことに大秘事中の奥秘の一巻である。
十二月十五日 南坊宗啓」
出品した「南方録」の「墨引」は、本来、秘密にしておくべき書として密かに残されていたものです。


南方宗啓と立花実山、及び「南方録」の来歴については「説明欄」に記載

出品した「南方録」のうち「墨引」自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《南方録》
《墨引》
《六ヲ、》・・・・陰ノカネトス、本式ニハ陽ノ五ツヲ用テ、六ハ常ニ不用、草菴ノ茶ノ湯ハ、臺子本式・書院ノ格式ヲ本トスルトイヘトモ、陰陽トモニ用ル子細アリ、
書院臺子ニモ陰陽トモニ用ル子細ニモトツキテノコトナリ、其子細ヲ會得セザレハ必相違スルコトナリ、ネンゴロニ根源ヲキハメヌレハ、イカヤウニモ自由ナルコトト云ゝ、
タトヘバ眞ノ文字ヲ知テ、行草ニ至レバ、イカホド自由ニクヅシヤツシテモ本性タガハズ、草カナバカリ習テ筆畫チガヒ、本性ヲウシナフコト多シ、
第一・・・・・・《眞字煆煉アルベキ也(ナリ)》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳(解読)」としております。


出品した「南方録」のうち「墨引」の自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《南方録》  《墨引》
《この五つかねの間々をとった六つを》・・・・陰のかねとする。本式には陽の五つかねを用いて六つのかねはふだんは使わない。草庵の茶の湯は台子を本式とし、書院の格式を基本とするものであるけれども、陽の五つかねばかりでなく陰の六つかねもいっしょに用いるいわれがある。
書院や台子でも陰陽のかねを両方使ういわれにもとづいていることだ。その書院台子の法式を理解しておかなければ必ずまちがいがおこってくる。
十分にその根本を明らかにしておけば、どのようにでもかねは自由になるものである。
 たとえば楷書を学んでから行書、草書をやれば、どのように自由にくずしても基本をあやまることはない。草書やかなばかり習うと字画をまちがい基本からはずれることが多い。第一に、まず楷書を学ぶべきである。
 しかし人によって修行の方法もかわるべきである。昔の人で草書の精妙な技術を得、・・・・・《また行書の精妙な技術を得、さらにかなについても見事な人がいる。》


現代語訳の出典:「南方録・校訂解題」久松潜一(淡交社・刊)

備考
1・坊宗啓(文禄2年(1593)2月28日集雲庵を出庵
堺南宗寺塔頭の集雲庵の禅僧で利休の高弟
利休の茶の教えを巻紙に「覚書」「宗易茶湯日記」「四畳半棚置等」「書院少々覚書」「台子等」「墨引」として記録し、一々利休の校正を受けた。利休が自害した後、「滅後」の巻を書残し、集雲庵で利休の三回忌を自ら行い、何処とも無く行方をくらました。

2・立花実山(宝永5年(1708)11月10日没 54歳)
福岡黒田藩士、三代藩主光之に8歳から小姓として仕え、それ以来光之の側近として重用された。光之は60歳で藩主の座を四代綱政に譲り隠居したが、その後も光之が80歳で亡くなるまでの20年間、実山は隠居付き頭取として仕える。




(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
原本下の印は、「方子」の落款


「断層画像写真」


《断層画像写真番号(原本番号と同じ)-1-A》
印は、出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子の落款(印譜)。



《有名な南宋時代の漢詩と篆書体の高度な線刻技術》
原本自筆には、中国南宋時代の唐代の漢詩人・真山民(しんさんみん)漢詩が押捺されている。文字は篆書体の微細な線刻によるもので米粒に筆で文字を描く技法と共通しております。印材に極細な彫刻刀で描く極めて高度な技術です。

《篆書の漢文・読み下し文・現代語訳文》
篆書の漢文は「人心新歳月春意旧乾坤」

読み下し文は「人心(じんしん)新歳月(しんさいげつ)春意(しゅんい)旧乾坤(きゅうけんこん)

現代語訳文は、「人の気分は、新年とともに新たになり、春の陽気、天地をもとのとおりにする。」

伊達貞子さだこ)は、仙台藩5代藩主・伊達吉村の正室・冬姫(貞子・さだこ)である。貞子(さだこ)は、茶道に親しみ和歌や漢詩の素養もある教養のある女性として知られておりますが、茶道具に通じ、漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。

「参考資料・Ⅰ」

(1)・下記3枚の写真のうち、1段目の写真は、仙台藩主・姫君の嫁入道具。黒棚・厨子棚・書棚で「源氏物語」が調度品として置かれた。【宇和島伊達保存会所蔵】

方子が出雲藩主の正室として嫁入の際に持参し、江戸藩邸(赤坂)で用いていたと推定されている。





(2)・上から2段目の写真は、方子が自筆「南方録」を所蔵し鑑賞していた頃の邸跡
上の写真のうち下段の写真は、方子と母の方子が生活していた松江藩江戸屋敷の上邸跡。
写真は、東京・青山通りの沿いの「衆議院議長公邸と参議院議長公邸」の一帯、1万1942坪が、方子の住んでいた邸跡。右の建物が衆議院議長公邸、左が参議院議長公邸。
両公邸には、現在、「松江藩上屋敷跡」の案内板があり、そこに江戸時代、方子と母の松江藩主正室の方子が公卿・内大臣久我通誠の娘で仙台第5代藩主・伊達吉村の正室・冬姫(貞子・さだこ)自筆「南方録」を鑑賞していたころの松江藩松平家の上屋敷があった。

(3)・上から3段目の写真は、額縁裏面ラベル




「参考資料・Ⅱ」
(1)・下記1段目左右2枚の写真のうち、右の写真は、自筆「南方録」表紙の題箋(だいせん)



(2)・表紙の題箋下の印は、広幡大納言の娘で仙台5代藩主伊達吉村の正室・冬姫(貞子・さだこ)の印(落款) 右は方子の落款

(3)・左の写真は、「南方録」題箋と冬姫(貞子)・方子の印の拡大写真

(4)・上記2段目の写真は、仙台5代藩主伊達吉村の正室・冬姫(貞子・さだこ)の系図・「出典・大名家の婚礼」




「参考資料・Ⅲ」

(1)・『南方録』の文は江戸時代の茶の湯の中心的は床・掛物の道具と持ち入られた。
茶会で掛物として用いられた写真を下記画像で見ることができる。





筆者の貞子と旧・所蔵主・方子 出品した「南方録」を書いた広幡大納言の娘の貞子(さだこ)は、仙台藩5代藩主・伊達吉村の正室である。貞子は冬姫(あつぎみ)ともいう。貞子は公卿・内大臣久我通誠の娘として元禄15年(1702)4月に仙台藩主の正室に嫁している。
来歴について 方子の母・せい(靑に彡)楽院(不昧公正室・方子)の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎の家に伝来したものである。書かれた来歴が克明にわかる貴重な自筆「南方録」である。
「南方録」について 1・千利休没後の約百年後の貞亨4年1687年正月に縁有って、宗啓の残した記録のうち「覚書」「宗易茶湯日記」「四畳半棚置等」「書院少々覚書」「台子等」の5巻を、参勤交代で在住していた江戸黒田藩の桜田の屋敷で入手する。またその3年後の元禄3年には同じく参勤交代の途中に、堺の宗啓の血族である納屋宗雪より、残りの「墨引」「滅後」を書写し、計7巻の茶書を入手する。
後に7巻を清書(編纂)して古外和尚に「南方録」と命名してもらう。
7巻の書名は「覚書」「会」「棚」「書院」「台子」「墨引」「滅後」からなる。
その後南方録は宝永2年(1705)12月に実山の近親者である、立花寧拙(弟)、立花不白(実子)、衣斐固本(黒田藩士)、大賀如心(博多商人)の4名に固く他見を禁じて書写を許される。

 尚実山は光之が亡くなると四代藩主綱政から隠居を申し付けられ、さらに翌年綱政の命により捕らえられ半年近い幽閉生活の後、密使に暗殺されると言う悲惨な末期をたどる。いかにも利休と同じような運命を思わせる。

2・笠原道桂(黒田藩士、旧姓立花勝久、実山の甥)  江戸藩邸勤めが長く、何れ実山から書写を許される予定(?)であったが、実山が暗殺されたため書写できず。実山の死10年後の享保3年(1718)2月28日に上記の内3名の合議により特別に南方録の書写を許される。 笠原道桂はその後江戸に南方録を持参し、江戸の旗本安藤定房に享保9年(1724)春、書写をさせる事になる。 その後南方録は安藤定房から次々に書写されるようになり、武士、僧侶、そして遠州流、宗編流、石州流などにも広まっていったようである。書写の過程で「南方録」は南坊宗啓の記録と言う事で、「南坊録」として流布していく。
自筆の希少価値 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。

断層(MRI)写真 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。
寸法 「南方録」自筆の大きさ タテ24.3センチ ヨコ16.3センチ。 額縁の大きさは タテ40.0センチ ヨコ30.0センチです。
額縁は新品です。

筆者の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさなどの筆勢によって識別する方法が一般的となっている。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析している。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行う。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでいる。
剥離痕について 出品の自筆「南方録」は、掛軸に表装されて主に茶会の「茶掛」として鑑賞に用いられていたため、掛軸や屏風などに複数回表装し直された痕跡を示す「剥離痕」が確認されている。
自筆の保存維持管理の関係で「額縁」に表装しているが、元の状態の掛軸に戻すことが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を用いている。
ホームページ 出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


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