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Описание
| 必ずお読みください! |
| 2018年3月から出品者に「ヤフーかんたん決済」の利用が強制されました 当オークションでは長くご利用を遠慮いただいておりましたが、今後ご利用を「可」とすることにいたします 但し今回の改悪により入金までさらに長時間を要するようになり出品者には大きなリスクと言わざるを得ません つきましては、引き続き良品を出品し続けるために次の4点を遵守願います ①必ず落札翌日までにお振込みまでのお手続きを完了願います ②お品物がお手元に届きましたら当日中に「受取連絡」を願います ③落札の翌々日または翌々々日にスムーズなお受け取りのできない方(時間指定は承ります)の入札はご遠慮下さい(お支払いをいただいても「受取連絡」がない限り入金されないのが現在のヤフオクのシステムですのでご了承ください) ④領収書は発行いたしません(当方へ全額入金はされません/領収書はヤフーに請求されるか金融機関等の受領証で代用ください) 以上お守りいただけない場合は「落札者都合」で落札を削除いたします(この場合お客様に「非常に悪い」の評価が自動的につきます)のでご注意ください! どうかご協力をお願い致します なお必ず自己紹介欄をお読みになり内容をご納得いただいた上でご入札ください |
| 作者と作品 |
| 正徳4年武蔵国児玉郡関村(現埼玉県本庄市児玉町)生 父は赤穂事件のおりに吉良義央を襲った浅野長矩を抱きとめ短刀を奪い取った幕臣の関久和 元文4年江戸に出て佐久間柳居に師事 宝暦11年越前下兵庫村(現福井県坂井市坂井町下兵庫)の代官となる その後越前丸岡藩主有馬誉純に招聘され仝藩の儒官となり、また城下の石城戸(現福井県坂井市丸岡町石城戸町)に蓑笠庵を開く 当時の越前俳壇が美濃派に傾倒していることを憂え、蕉風俳句の復興に尽力した 明和2年には吉野へ旅し(『大和紀行』)、京で蝶夢と交友を結ぶ 以後、芭蕉の顕彰に努め『奥の細道』の研究に没頭、安永7年その注釈書である『奥細道菅菰抄(序文蝶夢)』を著す 仝書は『奥の細道』の注釈書で最も古く、以後の芭蕉研究に大きな影響を与えた(本文は岩波文庫の『奥の細道』にも併載されている) 生涯を芭蕉の顕彰と蕉門の勃興に努め天明3年70歳で妻子を江戸に残したまま越前丸岡で没した俳人、蓑笠庵梨一(1714~1783)の『葵祭』句短冊幅 芭蕉を含む『三俳人』図に台貼 紙本淡彩 紙丸(揉紙)装 28.5×97(本紙)cm 箱付 読みは「又やかてあふひの車見に登れ/梨一」で明和2年京都に蝶夢を訪ねた際の作か 画の落款は2印のみ「印(石亭?)/印(南園)」で、文化文政頃豊前小倉城下で活躍した四条派家石南園(いしなんえん/生没年不詳文政年間没)、南園は加賀金沢の出身(越前大聖寺出身とも)で30歳ころから小倉城下で活躍、師は越前大聖寺出身の石南岳(小倉城下大坂町住,円山派に属し設色の花鳥画を得意とした)で一説には両者は親子であるとも…、その出身など梨一と縁を感じさせる画家と言えよう 梨一の肉筆は極めて稀、しかも蝶夢との交遊を髣髴させる好史料です、この機会にぜひご入札ください |
| 状態・その他 |
| 状態は難あり 短冊は上下に虫損スレなど痛み、ヤケ稍強し、折れシミあり 画と表具は経年の薄ヤケ折れシワ痛みあり 軸頭に傷あり 箱(前蔵者が新しく誂えたものであろう)付 もちろん真作保証品(真作でない可能性はございませんが、万々一所定鑑定人の鑑定が通らなかった場合は返品をお受けします、但し鑑定に係る諸費用はお客様のご負担でお願いいたします)! 古いものですので、画像をよくご覧になり、ノークレーム、ノーリターンでお願いします |