●絵師:落合芳幾
天保4年(1833年)生、明治37年(1904年)歿。歌川国芳の門人で月岡芳年の兄弟弟子。
慶応2年に芳年との無惨絵の競作「英名二十八衆句」を発行し、人気を呼んだ。
明治5年に日報社刊行の「東京日日新聞」の発起人の一人となり、明治7年には錦絵版「東京日日新聞」に新聞錦絵を書き始めた。
錦絵版「東京日日新聞」は主にゴシップ、センセーショナルな事件を錦絵というグラフィックを用いて分かりやすく伝え、
それまでの活字主体の新聞に縁遠かった一般大衆に広く受け入れられ、後の錦絵新聞流行の先駆けとなった。
●東京日日新聞:
現在の「毎日新聞」の前身で、1872年3月29日(明治5年2月21日)に条野伝平、西田伝助、落合幾次郎が創刊した東京最初の日刊紙。
1873年(明治6年)には岸田吟香(岸田劉生の父)が入社、岸田吟香は明治7年5月の台湾出兵に日本で初めての従軍記者として参加。
1874年(明治7年)には福地桜痴が社長に就任し、社説欄を創設して政府擁護の論陣を張る御用新聞となり、自由民権派の政論新聞に対抗。
自由民権運動が盛んになるとともに、「東京日日新聞」の勢力は失墜し始め、1911年(明治44年)に「大阪毎日新聞社」に併合された。
1943年(昭和18年)1月には、新聞統合政策により「毎日新聞」に題号を統一。
●台湾出兵:
1871年(明治4年)台湾に漂着した宮古島島民54人が台湾先住民に殺害された、宮古島島民遭難事件および
1873年(明治6年)備中国の船が台湾に漂着して船員が略奪される事件を受けて台湾征討の声が高まり、
1874年(明治7年)明治政府により台湾蕃地事務都督に任じられた西郷従道(西郷隆盛の弟)が台湾に出兵、事件発生地域を制圧。
同年、大久保利通が清国政府と交渉し、償金50万両を得て撤兵した。
本作の東京日日新聞712号の記事では、台湾出兵における「石門の戦い」の様子を描写。
険しい地形を活かして抵抗する牡丹社(台湾原住民)に対し、日本軍が迂回して山の中腹から奇襲をかけ、激しい銃撃戦の末に降伏させたという戦況が記されています。