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明治 瀬戸焼の名工 千峰園製 伊藤四郎左衛門 染付龍文5寸皿 5客 揃いで出品します。
伊藤四郎左衛門は明治11年1月に瀬戸の南新谷地区、現在の上ノ切町・秋葉町で主に国内向けの磁器食器を製造する染付窯屋として明治初期から昭和初期まで二代にわたって活躍しました。
銘を千峰園と号し、その作品は高品質として評価され『開業以来、その製品用意周密にして地質釉料の精撰に勉むる事常に怠らず、他の模倣し得ざる良品なり』『千峰園の奈良茶碗皿等はその精巧にして確実なると誰も知る所なり』と記され、また『地質釉薬改良に勉め又意匠に心を用いしかば、内地品製造には特に千峰園の名あり。祥瑞模様の捻皿の如きは其良品なり』と評されるほど高評価を得ていました。
千峰園の最も特筆すべきは、その染付の繊細さです。手描きによる絵付に拘り、図柄は瀬戸染付によく見られるような花鳥図などは殆どなく、多くは図案化された文様が描かれ、呉須の他に酸化クロムや正円子などが使われています。また銅板転写などの絵付は行いませんでした。
染付での龍文、幾何学模様全てが見事な運筆だとすぐわかります。龍のうねりある躍動感溢れる絵付はまさに『模倣し得ざる良品なり』の言葉通りです。
千峰園工場では、後の人間国宝となる加藤士師萌が画工として勤め、小森忍が瀬戸で創業していた山茶窯(つばきがま)の工場として使用されたという、日本の窯業史で重要人物との関わりもありました。
二代に渡って四郎左衛門が経営を担った千峰園工場は昭和3年4月に上記にある山茶窯の工場として使用される時には操業は休止されていましたが、昭和10年の商法裏印登録の出願、昭和11年の汎太平洋博覧会の委員就任など活躍記録があり繋がりは残されていましたが、昭和17年で活動を停止しました。
染付技術のレベルは日本トップレベルです。瀬戸市の瀬戸蔵ミュージアムや名古屋にある横山美術館に展示されています。
寸法は15cm×高さ2.5cmです。割れ欠けはありません。150年を経ても傷一つないほど未使用品同等の保存状態となっております。
千峰園の良品はなかなか見つけることが容易ではなく、揃いであるのも稀です。